ゴジラVSコングの胡乱感想(ネタバレ特盛)

 正直、本作の展開には驚いた。『キングコング』を世に送り出したアメリカで作られたフィルムにおいて、ゴジラが勝者となったのだから。こういった「VS系」で勝敗が明確にされることは珍しいのではなかろうか。

 モンスターバースにおいては、いっそ頑なな程にコングもギドラも「キング」の冠を剥奪されている。そして、本作においてもまた、ゴジラの『怪獣王 (King of Monsters)』の地位は揺るがない。ゴジラ海上での戦いにおいても、香港での決戦においてもコングを下した。ゴジラが二度も勝利したのだ。香港決戦の終幕、倒れたコングの胸板を嬲るように踏みつけ、ゴジラは勝利宣言の咆哮を上げた。その「王たるはゴジラである。」との宣言に異を唱える者は、この地球上に居りはしない。

 しかし、本作は決してコングの株を下げるフィルムではなかった。映る時間はコングの方が圧倒的に長く、本作の「主人公」はコングの方だったとさえ言えるだろう。本作は、髑髏島 (Skull island) という小さな島で生まれたコングが己の一族が髑髏島に来る前のルーツを探る冒険譚だったのだ。そして、ついに辿り着いたコングの故郷においてコングは一族の長が座すべき玉座に収まる。しかし、既にコング一族は彼のみを遺し死に絶えており、彼に仕え、そして彼が守るべき民は居なかった。孤独故に故郷に還ることを求めたコングは、その故郷においてさえ孤独だった……。ひどく物悲しい結末である。そしてコングは知ることになる。ゴジラ一族とコング一族は、『怪獣王』の玉座を争う宿敵関係にあったことを。

 本作において、ゴジラは悪役 (ヒール) 的な振る舞いをする。実際、コングにそんなつもりはなかったのだろうが、コングが髑髏島を出たことでゴジラはギドラに続いて『怪獣王』の座を狙う脅威が現れたと考えた。故にコングの冒険の最中、幾度も彼を襲撃する。第一戦、海上での戦いはコングからすれば「何故か超ヤバい奴に絡まれた」状況。故に、コングは「覚悟」できていない。そして地の利もまたゴジラにあり、コングはゴジラに終始圧倒される展開だった。しかし、香港決戦。コングは己がゴジラと決着すべき存在であることを自覚し、そして一族の仇への復讐を望み、一族に伝わっていたゴジラの背びれを加工した斧 (コングカリバー) を携えてゴジラと対峙する。

 しかしコングはゴジラに及ばず、敗北した。『王』の座を守ったゴジラは死を待つばかりのコングに背を向けるのだが……。そこに、ゴジラによって撃滅されたはずのギドラの『亡霊』が現れる。それが、本作のメカゴジラだ。『僭王』たるギドラが、不遜にも真の王の姿を模倣して現れる。実にエモーショナルな展開だ。

 此処からは小栗旬演じる芹沢蓮(Ren Serizawa)の話をしよう。『KoM』で大活躍した蓮の父、芹沢博士(Dr. Serizawa)とは対照的に、本作での彼の扱いはお世辞にも良いとは言えない。聞くところによれば人間ドラマのシーンを削りまくった影響らしいが、とにかく、劇中の情報だけでは蓮が何をしたかったのかよく分からない。そのため、これから記すのは胡乱な内容となることを断っておく。

 蓮は劇中の巨大企業『APEX CYBANETICS』が推し進めるメカゴジラ建造プロジェクトに深く関る人物だ。言うまでもなく、メカゴジラとは対ゴジラ決戦兵器、人類が生態系の『王』に返り咲くための切り札として建造されている。ゴジラに狂気的とさえいえる献身を果たした芹沢博士の息子が、父とは逆にゴジラを滅ぼそうとしている。これは、芹沢親子間の確執を示唆しているのではなかろうか。

 蓮の目的と動機について妄想する前に、本作のメカゴジラの特徴を押さえておく。メカゴジラはギドラの亡骸を利用して建造されている。ギドラの首は互いにテレパシーで交信する性質を利用し、ギドラの頭蓋骨二つをそれぞれメカゴジラの頭部と外部コックピットに流用。パイロットは神経接続によってトランス状態になり、メカゴジラを遠隔操作する。

 蓮はメカゴジラパイロットも務めていた。そして、私はこのことから、蓮の目的についてこう考えた。「蓮はゴジラになりたかったのではないか?」

 何故、操作方法が神経接続なのか。それは己とメカゴジラを合一するためだ。何故、ギドラの亡骸を使いながら、メカギドラではなくメカゴジラとしたのか。敗者であるギドラよりもゴジラを模倣した方が良いというのならばわかるが、そもそも何故怪獣を模ることを選択したのか。それは、そもそもヒトの「模るという行為」が、それとの合一を求めるが故に他ならない。蓮はメカゴジラを媒体としてゴジラに並び立ち、そしてゴジラになりたかったのだ。

 では、何故蓮はゴジラになりたかったのか。それはおそらく、父との関係に由来する。物語における研究者系父親というのは得てして、己の研究に没頭するあまり家族を蔑ろにしがちであるから、芹沢博士もそうした類いの人物だったと仮定しよう。蓮の父はゴジラを愛し、ゴジラのために死んだ。蓮は、最後まで自分は愛されなかったという寂しさを抱えていた。故に蓮が願ったのは二つ。自分に向けられるはずだった父の愛と、その父の命を奪ったゴジラへの復讐。しして、父が愛したゴジラになることで父に愛されたいという歪な代替行為。これらの願いが、彼をメカゴジラ開発へと駆り立てたのだ。

 あるいは、彼もまた父と同じくゴジラフリークで、ゴジラになりたいという少年の如き夢を叶えたかっただけかもしれないが……。