我が導きの月光よ

「ああ、ずっと側に居てくれたのか。我が師、導きの月光よ。」
医療教会最初の狩人、聖剣の英雄ルドウイーク。
偉大な狩人の一人であった彼は、いつしか悪夢に囚われ、心身を醜い獣に変じてしまった。ガスコインに並び、狩り続け、狩り過ぎた者はかつて獲物であったはずの獣になり果てることを象徴するキャラクターである。
しかし、彼は先の言葉と共に、人としての己を取り戻す。彼を導き続けた「月光」が、彼の心を呼び戻すのである。
ルドウイークはしきりに「光」を気にする。「狩人よ、光の糸を見たことがあるかね?」「教会の狩人よ、教えてくれ。君たちは光を見ているかね?」そして彼の言葉や諸々のフレーバーテキストに、その光こそが彼の心の支えであったことが示されている。「光」、すなわち「月光」。だからこそ、月光の聖剣を取り戻した彼は、正気もまた取り戻したのである。
しかし、その「月光」は不気味な残響を伴うものである。ルドウイーク曰く、「真実それが何ものかなど、決して知りたくはなかったのだよ。」やつしのシモン曰く、「ほら、これがルドウイークの導きの光だ。英雄を導いた、目も眩む欺瞞の糸さ。」これから察するに、「月光」の本質は優しいものではないのである。
武器としての月光の聖剣は、物理と神秘の複属性武器。そして、Bloodborneの世界において神秘とは、人ならざる者たちの宇宙悪夢的知識。すなわち「月光」とは外宇宙に由来する存在なのである。
ルドウイークが何故これを導きとしたのか。獣狩りという、人と獣の境が曖昧になる狂気の場において、ルドウイークは更なる狂気、「光」で己の目を潰し、己の仕える医療教会の正義をただ信じたのである。その蒙昧さ故に、彼は獣に堕ちた。
ルドウイークは確かに誇り高く、精強な狩人だった。しかし、たとえそうであっても、人など、心など、宇宙の神秘の前には吹けば飛ぶものである。そのどこか残酷なBloodborne世界の理を表すキャラクターであろう。
しかし悲しいかな、我々現実世界のプレイヤーもまた蒙昧であり、尋常の思考回路で物語を享受する。故に、ただルドウイークが最後に己を取り戻したことに感動する。してしまうのである。彼が、我々が、哀れで矮小な存在であることを忘れて。